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この一枚2018年 セブ篇 その(12) 庭で咲いたドラゴン・フルーツの花

 2013年3月、ラオス・ヴィエンチャンへ行った時に、知り合いのラオス人の庭に生えていたドラゴン・フルーツの先端をもらい、セブへ帰ってからそれをいくつかに輪切りにし、ポットに植えた。

【結実するかどうか楽しみ】

 ドラゴン・フルーツというのはサボテンの仲間なので環境に強い植物になり、そのポットに根付いた苗を鉢植えにして育てたが、あまり手をかけないで育つには育つものの、実を結ぶまでには至らなかった。

 それでも3年半後に小さな花芽を一つ付けたが、これは育たず小さい内に枯れ落ちてしまった。このためラオス育ちのドラゴン・フルーツは、セブでは花も実も駄目な種類かとも思っていた。

 

しかし、セブ島の北の方に住む知人にこの苗を分けたら、花が咲き、結実したという話を聞き、植えた環境にもよるが諦めるのは早いと思った。

 それが、先日、家の者からドラゴン・フルーツの花が一つ咲いていると教えられて、急いで写真に撮った。咲いている場所は車の出入りするゲートの柱横で、あまり栽培条件は良い所ではないが、黄色い花を咲かせていた。

 ドラゴン・フルーツの花は、満月の夜に咲いて一晩で萎むといい、開花時は良い匂いを振り撒くらしいが、花の蕾自体があることさえも気が付かなかった。

 花は結構大きく、根元から25センチ近くあり、この大きな花が他の枝に寄りかかるように盛りを過ぎた感じで萎れが始まり、花は既に終わりへ向かっているようであった。

 

ドラゴン・フルーツは自家受粉より人工的に授粉させた方が結実すると聞いていたので、人工授粉しようと思っても花弁が雌蕊と雄蕊を覆い隠していて手が付けられない。しかし花自体は甘いのか、蟻が列を作ってたかっているので、蟻による受粉を期待したい。

 写真のドラゴン・フルーツの花は黄色く、細長い花弁を持っていて、他で知るドラゴン・フルーツの花は花弁はこれほど長くなく、品種はまた違うのかと分かるが、実の中味の色は白色になるか紅色になるのか花を見ただけでは分からない。

 ドラゴン・フルーツは結実してから2ヶ月くらいで収穫出来るそうだが、上手に育つかどうかは分からず、注目するしかないが、楽しみであることは確かである。

 

今でこそドラゴン・フルーツは知られた果実で、スーパーの店頭で普通に見られるが、ここ最近であって、小生自身も最近まで知らなかった。

 

タイのホテルに泊まった時、朝食のフルーツ皿に白身に点々と黒い胡麻の様な種を持ち、大根の様な感じのフルーツがドラゴン・フルーツとの初めての出会いだが、その傍にあった紅色の鱗の様な皮に包まれた様子も不気味な感じがした。

 

それでも食べて見たら、サクサクした感じは悪くはないが、中途半端な甘さで続けて食べてみたいという気は起きなかった。

 

それがラオス・ヴィエンチャンに住んでから、近くの市場内にある果物屋でドラゴン・フルーツを普通に目にするようになり値段の安さから買い求め食べるようになった。

 

最も淡白な味だから、ドラゴン・フルーツとマンゴーをスライスにし、ヨーグルトをかけて朝食に食べていた。

 

 このヨーグルトもヴィエンチャンの店で売っていた自家製の様な品物で、その味は濃く、現在セブで買っている市販のヨーグルトとはずいぶん違う。そういえば、ヴィエンチャンで買っていたタイ製の牛乳もセブで買う牛乳より遥かに濃厚であった。

 

 セブで購入する牛乳はロング・ライフ牛乳といわれる種類で、その味は小学生の頃給食で無理やり飲まされた『脱脂牛乳』そっくりで、こんな牛乳を大メーカーが売っているのかと驚くが、セブでは牛乳に関しては選択肢はない。

 

 このドラゴン・フルーツだが、セブの北の方にある畑に移植して専門的に栽培したら面白いと思うが、生き物相手は片手間では難しく、思うだけで実現には遠い。

 


 

author:cebushima, category:この一枚 2018 セブ篇, 11:24
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プーケット・ピーピー島・クラビ紀行 2018 その−(38) 朝の散歩で湾の外れから反対側の港のある湾へ

【写真−1 津波はこちらの湾から襲ったようだ】

 

 リゾート・ホテルを建設中の角にあった写真−1の看板。右側の青い柱に『26 Dec 04』と書いてあり、その下に4mの津波が襲ったと書かれている。となるとまた津波があったら、このホテルのある一帯は壊滅する。左の表示には避難先を書いているが難しい。

 

【写真−2 これを造るためにかなり島の自然は破壊されたのではないか】
 

 写真−2は建設中のリゾート・ホテルの様子。コテージ・タイプの棟が並ぶが、いかにも安っぽい造りが進行中。このリゾート、目の前は海だから場所は良いが、まさか海に排水を垂れ流すようなことはないと思うが。


【写真−3 そういえばタイで普通に見る仏教寺院は見なかった】
 

 港のある湾に向かうがその途中にあった写真−3の建物。これは看板に『Muslim Prayer Room』とあるようにイスラムを信仰する人のためのお祈り施設。イスラム特徴のモスクはないが、タイも南に下がるに連れて仏教よりイスラムが目立つ。

                                                        

【写真−4 船の排気ガスは海中に放出されるので相当海の汚染は進んでいる】
 

 朝まだ早い港のある湾の光景が写真−4。こちらもかなり潮は引いているが急斜面なので沖までは海は引かない。写真左側の船の上に見えるのはガソリンの入ったタンクで、観光客が利用するボートの燃料用で、島内にはガソリン・スタンドは見かけなかった。

 

【写真−5 昼間に来るとボートのエンジン音がけたたましい】
 

昼間は人でごった返すこちらの浜も、朝早いと写真−5のように人は少なく、朝日を受けて梢が地面に落とす樹の影も涼やか。観光客相手の店がソロソロと店を開けて、用意を始めている長閑なひと時でもある。

 

【写真−6 台風が来ないからこういう繋ぎ方が可能】
 

 写真−6は船が発着する湾と桟橋の様子。この静かな光景が数時間後には島に来る人と去る人で芋洗い状態になる。浜に並んだロング・ティル・ボートも綺麗に浜に並んで、しばしの休息。

 


 

author:cebushima, category:プーケット・ピーピー島・クラビ紀行 2018年, 20:10
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私の捨てられないTシャツ その−(4) 中米ホンジュラス コパン遺跡のTシャツ

 2006年から2008年までの2年間、家人と共にホンジュラスの旧首都コマヤグアに住んだが、交通の不便な国ゆえ韓国製の中古SUVを使っていた。

【写真−1 背中側にはマヤの鳥が描かれている】

 当時のホンジュラスは中古自動車屋あるいは市場というものはなくて、中古車を求めようとしたら新聞の売買欄で知る程度しかなかった。また車体の窓に『Se Vende(売りたし)』と電話番号と一緒に書いて走っている車を見つけ、連絡して交渉をし手に入れることも多い。

 乗っていた韓国製のSUVも、駐車していた車に書いてあったのを見つけ連絡し、手に入れたが、どういう訳かオリジナル書類はアメリカのニューヨークであり、あまり車の登録などどうでもいいような国なので、そのままにしてセブに帰るまで使った。

 このSUVでホンジュラス国内の主要道の東西南北を家人と共に走ったが、その一つにグアテマラ国境に近いコパン・ルイナスまで行ったことがあり、道路距離は片道300キロを超え、そこで買ったTシャツが写真−1で、元々は藍色であったがかなり色落ちしてしまった。

 藍というのはタデ科の藍から作った染料で、日本では阿波(徳島)が現在も有名だが、沖縄から東南アジア各地にも藍染めの織物が存在する。この自然染料も化学染料の普及で廃れる一方だが、藍で染めた深い藍色はかなり味がある。

 

【写真−2 これは遺跡の外れの方で大きい遺跡はたくさんある】


 コパンはマヤ遺跡があるので有名な場所で、写真−2の石を築いた遺跡が残り1980年に世界遺産に登録され、服飾の面ではどうなっていたのか良く分からないが、藍色というのは虫除けになる色で、この地にも藍染めに似た物があったのではないか。

 マヤ文明というのは紀元前2000年頃から起こり、メキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス西部に点のように存在し、1500年代にスペイン人がこの地域を侵略し衰退、滅亡するが、17世紀末まで細々と続いた。

 特に『マヤ暦』は知られ、このマヤ暦が2012年で終わっていることから2012年は『人類滅亡年』とかなり話題になったが、全く何もなく、こういった終末論というのは話題になれば良いという、根拠などいい加減なこじつけばかりで信じる方が悪いのではないか。

 そのコパン遺跡、コパンの町から歩いて行ける距離にあり、写真−2のように石を積み上げた遺跡も数多く残っているが、まだ発掘されていない場所も多く、加工された石が無造作に転がっている野原も多い。

 コパンに王朝が生まれたのは紀元435年とされ、16代の王が即位した記録もあるが、紀元前からこの地域に人は住んでいる。

 この遺跡のある場所はグアテマラ最大の川『マタグア川』の支流『コパン川』が谷間を作っていて農耕に適しているが、この川で『翡翠』が採集出来、これが交易品として王朝を支え、出土品も翡翠の装飾品が多い。


【写真−3 訪れてから10年以上経つから今は観光客で溢れているのでは】
 

 コパン・ルイナスという町は人口4万人足らずで、写真−3で分かるように石畳の道とスペイン植民地時代の建物が残り、落ち着いた雰囲気を持つが、世界遺産があるために世界中から観光客が集まるホンジュラスでも代表的な観光地になる。

 

 また、すぐ近くにはホンジュラスからグアテマラへ抜ける国境ポイントがあって、コパン遺跡の次にグアテマラ内のマヤ遺跡を目指す人も多く、コパンの町からバスで国境を超えてグアテマラの首都、グアテマラまでそれほど遠くない。

 

 この国境ポイントを車に乗って見に行ったが、ホンジュラスとグアテマラの関係は良好なのか緊張感はなく、コンテナ車が停まっているのが国境らしい風景で、このポイントを地元の人は歩いて行き来していた。

 

 中米諸国は相互を行き来する車に対して共通の書類を作っていて、それを提示すれば簡単に行けるようになっていて、小生の車もその書類を首都のテグシガルパで作ろうと思ったが、外国人には面倒臭そうなので止めた。

 

 住んでいたコマヤグアからコパン・ルイナスまで300キロを超えるが、行きは一気にコパンまで走ったが、車の少ない国なので、それ程道の状態は良くなくても朝出発して日の明るい内に到着できた。

 

 帰りは途中の町で一泊してゆっくり帰ったが、ホンジュラスは高原に開けた国なので、ホンジュラス松が生い繁る山間を右に左に見ながらの運転は楽しかった想い出を持つ。


 

author:cebushima, category:私の捨てられないTシャツ, 19:39
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