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へそ曲がりセブ島暮らし2018年 その(18) デジタル・カメラの引退

 現在使っているデジカメの調子が悪くなり、日本へ行く知人に新しいデジカメの購入を依頼し、先日そのカメラを受け取った。

【少しずつ画素数は上がっているが安価なために今回のカメラで頭打ち】

 写真の4
台は具合が悪くなって既に使わなくなったニコンの同型シリーズで、初代を除いて保管してあり、今回も同型シリーズを購入し、新しいカメラを含めると6
代目になる。

 初代を購入したのは2005年で、写真の同じようなデザインと較べるとかなり無骨な造りであったが、今の様な薄さや軽さを求める機種と違ってかなり頑丈で、結構長く使った。

 その後初代の調子が悪くなると同じシリーズで買い替えたが、カメラはコンパクトにするとどこか無理があって、2〜3年で調子が悪くなるように設計されているような疑いがあり、修理は難しいと思ってその都度買い換えた。

 もっとも、今回の6代目にしても価格は1万円を楽に切る値段だから買い替えても痛くはなく、値段を考えるとこの手のカメラは使い捨て的な思想でニコンは作っているようだ。

 このシリーズに拘るのは一つの理由があって、このシリーズは電源が市販の単3の電池入れ替え式で、撮影中に電源がなくなっても予備の単3か、店へ行って単3を買えば撮影は続けられるので利点は大きい。

 実際、撮影中に電源がなくなって電池を買ったことも多くあって、カメラ本体の専用電池に充電する方式よりは便利である。

 ただし、今のデジカメは専用電池充電式がほとんどで、コンパクト・デジカメで単3電池を使う機種は稀といっても良く、ニコンは他のシリーズでも単3電池使用機種を出していたが、今はこの機種のみとなり、恐らく近い将来には生産打ち切りになる機種となるようだ。

 小生は小学生の頃からカメラ好きで、今まで持ったカメラは何十台にもなるが、何れもフィルム・カメラでデジカメというのはこのシリーズの機種が初めてで。2005年にデジカメを購入したのは家族とタイへ旅行することとなり、フィルム購入で苦労するより、デジカメなら楽だろうという動機からだが、当時はまだフィルム・カメラは優勢であった。

 初めて手にしたデジカメはファインダーがないのには面食らったが、何枚撮ってもメモリーを管理すれば無限に撮れ、フィルムの本数と枚数を気にして写真を撮る必要がなくなり、以降フィルム・カメラと縁がなくなった。

 こうして、フィルムからデジカメに転向するのが続出して、フィルムの需要は激減し、今ではフィルムが手に入るかどうかという時代になってしまい、かつてアフリカへ行った時に、スライドと焼付け用のフィルムを新宿の量販店へ行って100本パックを何本も購入して持って行ったことを考えると隔世の感がする。

 最近ではモノクロのフィルムの生産を中止するというニュースもあって、フィルム・カメラ派は追い込まれているが、カメラ・メーカーがデジカメに移行させようという魂胆ではないかなどと勘繰ったりする。

 そういうデジカメ全盛になっても、デジカメの均質な画面よりフィルムの質感を好む人は多く、これは音楽分野でデジタル全盛になって、その均一な音に飽き足らなくなって昔のアナログ式の音が再認識されているのと同じで、写真の世界もそうなるのではないか。

 この写真、今回買った新しいカメラで撮っているが、外観はほとんど同じで、機能も同じだが、液晶モニターが2.7インチと前の機種は3インチあったので少々小さく感じた。

 また、電池入れ替えの方法で蓋に前はロック機能があったが、この機種では単純にスライドする方式になって少々弱弱しい感じがする。

 機能として一番気になったのは、半押ししてからシャッターを押せる反応が前よりも遅い感じがし、機動性の速さを競っているデジカメとしては欠点だが、値段が値段だから仕方ないとするか。

 デジカメの世界もミラーレスといってこのカメラの6台〜7台も買えるような機種が多く出回っているが、値段がいかにも高過ぎて今のところは買う気は全くない。

 写真の出来具合はカメラの性能がカバーしてくれる点はあるが、いい写真を撮れるのは一にも二にもどれだけシャッターを押したかにかかって来ると思っているし、また撮った写真をいかに整理しているかでその腕は分かり、デジカメの便利さから撮りっ放しなどというのは下手で論外。

 最近はデジカメ市場もスマホに押されて縮小しているそうだが、スマホの写真は明るくて悪くないとは思うが、スマホは電話機であってカメラではないと思っている小生としては全く興味はない。

 写真はシャッター・ボタンを押して撮るもので、スマホのタッチ式シャッターなどカメラではない。と書くもののデジカメもタッチ式の機種が増えていると聞く。


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2018, 18:34
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へそ曲がりセブ島暮らし2018年 その(15) セブで開かれた今年の盆踊り

 セブで『盆踊り』と称したイヴェントが行われるのは今年で5回目だという。そういう催しがあるのは知っていたが、あまり興味はなく1度も行ったことはない。しかし今年は拙宅から歩いて行ける場所で開催されるので家人と共に行ってみた。

【写真−1 前に座るのは地元の小学生で盆踊りステージで踊った】

 この催し何か事情があるのか毎年会場が変わって、今年はマンダウエ市にある新興ショッピング・モールの裏側で開催したが、この敷地には40階を超えるようなコンドミニアムが近々建てられる予定で、来年もどこかへ会場が移りそうだ。

 さて、陽が落ちて涼しくなって出掛けたといいたいが、今年は例年にない暑さの年で、年中暑いフィリピンでも今年は猛暑注意報が出たくらいだから、昼間の暑熱が落ちずこんなにフィリピンは暑かったのかと、30年近く住んでいて改めて感じる次第であった。

 この催し、セブ日本人会が主催していて、後援に日本大使館や国際交流基金、フィリピンの観光省など公的機関が名を連らねその他企業や団体などかなりあり、単純に夏の夜の盆踊り大会という枠を超えている。

 小生自身は盆踊りより、その時出る屋台や夜店に期待して行ったが、入り口で50ペソを徴収された。フィリピンはこの手のイヴェントは無料だと人が押し掛けて終止が付かなくなる恐れから有料にしたと好意的に考える。

 さて、期待した屋台と夜店だが、テントを張ってそれなりに数は多かったが、たこ焼き、お好み焼き、ラーメン、焼き鳥、アイスクリーム程度で、その他の出店も会場に来るフィリピン人目当ての人材派遣業とか、得体の知れぬ日本のNPOやあと他に何があったかなと思うような、催しの規模の割には中味は貧弱。

 それでもたこ焼きを手始めに食べるが中味はイカで、フィリピンはたこ焼きブームになって専門チェーン店もあるらしいがこんな内容で大丈夫かという代物。次にお祭り定番の焼きそばを期待して別の店で頼むが、日本の焼きそば風にはなっているが塩辛過ぎ。これは日本人の舌に合わないという話ではなく、フィリピン人も呆れる焼きそばであった。

 

 同じ所で見た目は日本のおにぎりソックリの海苔を付けた『しゃけのおにぎり』のあったのでそちらも買うが、米は日本米風で食感は悪くないものの塩味は全くなく、おにぎりは塩を手に付けて握る基本も分からないのかと正に噴飯もので、中味のしゃけも味のない気の抜けた代物であった。

 

 家人は他の店で『ラーメン』と称するものを頼むが、どう見てもインスタントのカップ・ラーメンのほうがマシな感じで、こんな味のラーメンを出していたら、日本のラーメンの評判が悪くなり、しかも小さなカップで100ペソとはボッタクリではないかと思った。

 

 こういうどうしようもない味の店ばかりで、このイヴェントには申込みし出店料を払えばだれでも店を出せるようだが、主催者はどういうものをどのような味と値段で出すか出店者をチェックする必要があるのではないか。でないと、やがて不評が溜まって飽きられると思うが、お気楽な催しだからそこまで考える必要ないか。

 

 写真−1は会場に設けられたステージで、この上で各種のショーが行われていた。特にコスプレ・ショーは盛況なようで、出場者がそれぞれのコスプレで会場を闊歩。コスプレというのはアニメと同じに日本発の文化というが、文化というにはおこがましく『お遊び』にしか過ぎない。

 

 盆踊りと銘打っているが、全体に地元フィリピン人のためのお祭りといって良く『ヨサコイ・ソーラン』もフィリピン人グループが大漁旗まで自作して披露し、いくつものフィリピン人ダンスが続くが、ヨサコイ・ソーランは踊りの抜群に巧いフィリピン人にしては覇気のない踊り方で、日本的な踊りはリズム的に不得手なのかなと思った。

 

【写真−2 次の日の日曜日はもっと人が多かったという】

 

 日本から来た太鼓グループが演奏し、メンバーの一人が達者な英語で説明しかなり盛り上がったが、10人近いメンバーを日本から招くとはお金もずいぶんかかるなとつまらないことを思ったが、50ペソの入場料で聞けたから良しとする。

 

 さて肝心の盆踊りだが、写真−2の中央にあるステージの周りで輪になって踊り出したのは、そういった各種出し物が終わってからで、写真−1で法被を着て頭は豆絞りの日本と同じような格好の子ども達がステージに乗り、その上には浴衣を着た大人が踊る。

 

 最初に流れた曲は『東京音頭』で、この東京音頭は1933年に『丸の内音頭』として作られ、時代は昭和8年、ドイツでヒットラー政権発足、日本が国際連盟脱退という軍国主義にまっしぐらの年だが、今の天皇が生まれた年でもある。

 

 翌年に『東京音頭』として改題し、歌詞も変えたところ大ヒット。以降戦後も盆踊りの定番曲となり、その軽快なリズムから東京の人間には耳に馴染んでいて、東京を本拠にする野球やサッカーの応援歌になっている。

 

 東京音頭の曲が流れ、踊る姿を見て海外に30年以上住んでいて初めて聞いたと思うが、それなりに感動的で、ステージで踊る人もかなり練習したなと思え、そこだけは盆踊り気分だが、ステージの周りに輪になって踊る人は来場者の割には目立たなかった。

 

 しかも、東京音頭が続けて3曲流れ、次は『ドラえもん音頭』が2回流れて、それで終わってしまい、盆踊り定番曲の炭坑節など流れるかと思ったが、それはなく盆踊りと銘打つにはかなり貧弱。

 

 次にステージでファイヤー・ダンスが踊られて、パフォーマンスは終わり、文字通り打ち上げの花火が上げられ今夕は終わったが、その花火も住宅や工場の密集地で打ち上げられて大丈夫かなと思わなくもないが、見る方は気楽なものでその豪快さ、美しさに見とれる。

 

 こうして、土曜の夜の盆踊りは終わったが、後で聞いてみると昼間の3時から開催されたという。続けて日曜日も行われるが土曜日のこの調子で開催されるだろうし、小生としてはこの夜の分で充分。

 

 といろいろ書いたが、こういった催しを企画、準備した裏方は大変と思うし、日本人会役員の知っている顔も見て、内容の善し悪しはともかくご苦労様のことで、小生の様な外野があれこれいう筋合いではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2018, 17:47
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へそ曲がりセブ島暮らし2018年 その(14) フィリピンの4月は最も暑い

 今年の日本の桜は、観測史上でかなり早く咲き、桜の名勝地で開催される『桜祭り』など定めた期間前に花が散ってしまって弱っているなどと伝わってくる。

【季節になれば当たり前に咲いているからお花見という習慣はない】

 春爛漫で日本は浮かれ、入学式、新学年の開始の4
月だが、フィリピンの学校は3
月に卒業式があって、それ以降は6月一杯まで休みになり、7月から入学式、新学年が開始する。

 年中暑いフィリピンでも更に暑い時期があって、これが4月から5月にまたがり、小生はフィリピンの暑さに慣れたとはいってもこの時期はかなり暑く、先日、フィリピンの気象庁が猛暑情報を出したようにフィリピン人自身も暑くて堪らないと音を上げている。

 

 セブは海を控えているために1日を通じて風が吹き、それが湿度を追い払い、日中でも木陰の下など涼しく、陽が落ちれば思いの外涼しくなり、季節によっては夜半は寒いと思う時期もある。

 

 そのため、小生宅にはクーラーを置かない生活を送っていて、暑い季節に入って扇風機を回すだけで長年過ごしてきた。

 それでも、この時期になるとやはりクーラーを入れるかと毎年考えるが、そう思っている内に涼しくなってクーラーの話は立ち消えになり毎年繰り返す。

 

 ただし、なかなかクーラーを入れないというのは、フィリピンは電気代の高い国で有名で、クーラーなど回すとその電気代の請求書にビックリさせられる話も聞く。

 

 そういった電気代の高い国なのに、店に入ると頭が痛くなるほどクーラーをガンガン効かせるのが普通で、これにはなかなか慣れない。しかも、昔からクーラーを備えているといっても音だけ大きく、扇風機より劣るクーラーも多かった。

 

 これが、今はクーラーの性能が向上し、スプリット・タイプが普通になり音の面でもかなり向上したが、電気代の高さは変わらない。

 

 ちなみにこの電気代の高さから『盗電』は普通で、この盗電の配線を専門的に商売にする人間もいて、時々、その盗電のための配線中に感電死したというニュースもあって、まだまだ盛んな国の印象は拭えない。

 

 今はどうか知らないが、家や部屋を借りた時、電線と水道管はどのように繋がれているかどうか調べないと、その線や管が大家の家に引かれていて、大家の分の電気代と水道代を払わされていたなど、かつては珍しくはなかった

 

 フィリピンの住宅では2階は断熱用にある部屋だと良くいわれていて、確かに2階は降り注ぐ直射日光の熱を受けて相当な室温になり熱が籠るが、階下はその暑熱が遮断されているためにかなり涼しく過ごせる。

 

 そのため、小生の自宅は2階建てで通常は2階の部屋で寝ているが、今年は例年になく暑く、とうとう1階に降りてそこで寝る羽目になっている。

 

 先ほどのクーラーで思い出すのは、ラオス・ヴィエンチャンで暮らした時で、ヴィエンチャンというのは内陸にあるために、4月頃の暑さは尋常ではなく、フィリピン暮らしで暑さに慣れていると思っていてもかなりきつかった。

 

 この時期にタイに有名な『水かけ祭り』があるのも、宗教的な意味はあるにせよ、蒸し暑い気候を凌ぐために水でも被らなければと思う気持ちがあるから盛んになっている。

 

 ヴィエンチャンは湿度もかなり高く、借りていた家にはクーラーがあり就寝前にクーラーを動かして対応していたが、暑熱期は耐えられず朝からクーラーを回さないとどうにもならない状態となった。

 

 幸い、ラオスは隣国タイに水力発電で起こした電力を輸出しているように、電気代は安く、あまりクーラーをかけて電気代が高くなって困るということはなかった。

 

 その耐え難いヴィエンチャンの暑熱期に咲き出すのが写真の花木で、街中でたくさん見られ、大きい樹では10数メートルにもなり、黄色の鮮やかさが目に焼き付いている。

 

 この樹は『インドカリン』と思っていたが、どうも似てはいるが違うような気もしていて、ラオスの地元では何て呼んでいたか思い出そうとしているが思い出せない。

 

 この樹はフィリピンにもあると思うが、英語で『ゴールデン・シャワー』と呼ばれ、日本では『ナンバンサイカチ』となり沖縄以南に生えるマメ科に属し、タイの国花にもなっている。

 

 フィリピンのこの時期は乾季であまり雨は降らないが、乾季になると花木の花が咲きだし、四季のないフィリピンでも季節を感じさせるが、それにしてもこの季節は暑過ぎてフィリピンが学校を長期間休みにしたのは正解である。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2018, 18:40
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