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この一枚2018年 セブ篇 その(8) フィリピン桜というが

 写真−1は2013年4月14日に写した。撮影時期は今から5年前の同じ頃になるが、中央に白っぽい花を付けたこの樹は今はない。

【写真−1 セブ市の隣りのマンダウエ市にあった桜似の樹】

 この通りは渋滞と日本食レストランの多い通りとして知られる『A.S.Fortuna St.』で、同じ位置で写真を撮ったら、道路の先遠く左側には日本の『東横イン』の建物が写る。

 また、写真の樹の梢越しには中層のマンションが建ち、樹のあった角地にはセブの地元資本のスーパーが出来ていて、セブが成長をしている時の移り変わりが良く分かる。

 スーパーが出来て邪魔になった桜もどきの樹は簡単に伐られてしまったが、フィリピンが最も暑い季節に入ると共に、この樹は四季を感じ難いセブでは季節の移り代わりを感じさせる数少ない樹であった。

 スーパーの出来る前はここには木立には囲まれたフィリピン料理を出すレストランがあって、事情はどうか分からないが角地の一等地ということで買収されたのであろうか。

 

 この樹を地元の人は『チェリー』と呼んでいたが、桜にしては少し大ぶりな花弁を持ち、その色もかなりピンクぽいし、花と葉が同時に咲いているし、花びらも桜と違って散るまでには花の命は長い。

 

 この樹は正式名称は分からないがパラワン島には多い樹で、現地では『Palayong=パラヨン』と呼ばれ、パラワンでは3月に花が咲くというから少し開花は早い。

 

 その時期にはパラワンの州都『プエルト・プリンセサ市』でパラヨン・フェスティバルが開催され賑やからしい。

 特に空港から市街に至る沿道はパラヨンの樹並木があって、その時期は綺麗な景色が続くらしいが、数年前にパラワンへ旅行した時にその通りを通っているが、時期が6月であったために花は既になく、葉を繁らせた状態の並木が続いていた。

 

 パラワン島には戦時中に日本陸軍の102師団が進出し、海軍も北部に艦隊の泊地を持っていて戦争とは縁が深い。

 

 特にプエルト・プリンセサでは1944年12月に、飛行場建設に使役させた米軍捕虜150人を防空壕に押し込めて焼き殺した残虐事件が有名で、この事件では139人が死亡、11人が助かった。

 

 その時期、駐屯していた日本軍兵士は、パラヨンの花を見て故国日本の桜を思い出したという。このように、日本人が海外に出ていると現地の花や山を日本風に呼ぶことが多い。

 ルソン島南部にある活火山『マヨン山』などその端麗な姿から『ルソン富士』と呼んでいたらしいが侵略者である立場を忘れ、おこがましいのではないか。

 

【写真−2 この樹も伐られてしまったのか】

 

 写真−1以外にもセブ島内にはこのパラヨンの樹があって、写真−2はセブから車で1時間少々北上した『カトモン』という町の幹線道沿いにある樹で、これを撮影したのは2012年3月半ばで、葉も少なく満開の言葉が良く似合う。

 

 先月下旬に北部方面に行く機会があり、この町を通り過ぎる時ちょうど花盛りで楽しみと思っていたが、花が咲いて目立った樹は見当たらず辛うじて奥の方に咲いていた樹を1本見かけた。

 

 写真−2の沿道にはこの樹が何本も以前はあったが、花が咲き目立つ時期に姿を見かけないのは、写真の樹を含めて邪魔扱いされてもしかすると伐られてしまったのではないかなどと思った。

 

 その昔に沿道に植えた樹が育ち大木になって景観を作っているが、現在、道路拡張が盛んでこういった樹は簡単に伐られているのが実情で、もう少し樹を後世のために大事にする必要があるのではないかと、伐られてしまった桜似の樹を写真を見ながら感じた。

 


 

author:cebushima, category:この一枚 2018 セブ篇, 18:18
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