RSS | ATOM | SEARCH
へそ曲がりセブ島暮らし2018年 その(23) スローカムの『スプレー号世界周航記』

 ヨットで世界一周した人間は何千人(あるいは万人)もいても、単独で回った例となると少なく、その両方を満たししかも史上初めてとなると、本書のスローカムが知られ、ヨットの長期航海者の世界では神様の様な存在となっている。

【原著は航海後の1900年に出版し本書は1977年の初版本】

 『Joshua Slocum
=ジョシュア・スローカム』は1844
年イギリスに生まれ、25歳の時にアメリカ国籍を取得したが、本職は帆船時代の船乗りで船長として世界各地を回り、フィリピンや日本にも寄港している。

 スローカムは1909年に65歳で死亡しているが、この死亡も世界一周を共にした愛艇『スプレー』号で、カリブ海方面に出帆した後行方不明になり、本人と船体は見つかっていない。

 本書はアメリカ・マサチューセッツ州のフェアヘヴンで古い牡蛎船であった船を、今の貨幣価値で1万4千ドルほどと13ヶ月をかけた修理改造から始まり、スプレー号と名付けて世界周航に出発し戻って来るまでの記録で帆船時代の香りが行間に漂う。

 

 スプレー号は全長36フィート9インチ、幅14フィート2インチ、船体はカーベル張りといって平板を並行に張り、板と板の間には水漏れ止めの綿糸を詰めた伝統的な造りで、最初は1本マストのガフ・リグであったが、航海中に船尾に小さいマストを立ててヨール型に改造している。

 

 スローカムは造船技術もかなり持っていて、1874年にフィリピンで150トンのスチーム・ボートを建造した記録があり、建造場所は後にアメリカ海軍アジア最大の軍港となり、アキノ(母)政権時代になって返還されたスービックで、フィリピンにも縁が深い。

 スローカムとスプレー号は1895年4月24日、アメリカ・ボストン港を出航し、1898年6月27日、アメリカ・ニューポート港に帰港、3年2ヶ月余、4万6千海里に及ぶ距離を走り切った。

 

 1898年4月というのはアメリカとスペインが戦った『米西戦争』が勃発した月で、この戦いは同年の8月12日に終戦となり、その最中にスローカムは帰ってきたため、アメリカの軍艦が哨戒している様子が書かれている。

 

 このアメリカとスペインの戦いはアメリカが勝利し、アメリカはフィリピン、グアム、プエルトリコ、キューバを獲得し、フィリピンは1899年1月21日に『第一共和国』として独立を宣言するが、同年から1902年にかけてアメリカと戦うが破れて植民地になった。

 

 フィリピンは16世紀半ばからスペインの330年以上、アメリカの44年間の植民地時代を経て、1942年から1945年までの日本の占領と長い間他国の支配を受けて来た歴史を持つが、そういった植民地支配に対して『怨嗟』の様な感情は薄いところがある。

 

 これは中国や韓国が日本の植民地時代を常に批判しているのと対照的だが、といって日本の軍事侵略は消せるものではなく、フィリピンではスペインは『宗教』をアメリカは『教育』を持ち込んだと評価し、日本は『憎しみ』を持ち込んだといわれている。

 

 これはフィリピン国民の80%を抱えるカトリックの普及でアジアでも最大のカトリック国、アジアで一番英語が通じ、英語が国内共通語となっていることを指し、こちらはプラス要因になるが、日本は日本軍の暴虐が広く知られ『許しはするが忘れない』というフィリピン人の度量は見習うべきである。

 

 さて、スローカムの航海は大西洋を横断し地中海に入ろうとしたが、海賊がいたので諦めて大西洋を南下し、南米の最南端の『ホーン岬』を回って太平洋に入る。

 

 当時は海賊が普通に出没した時代で、また風待ちの船を狙って陸から泥棒も多く、本書にもスプレー号のデッキ上に鋲を蒔いて泥棒を撃退し、略奪者を銃で追い払い、射殺したことなども載っている。

 

 ホーン岬というのはパナマ運河が出来るまでは大西洋から太平洋に出る場合、必ず通る岬で、こことアフリカ大陸最南端の喜望峰を超えた船乗りは、テーブルの上に足を置いて自慢して良いといわれるほど帆船時代の難所であった。

 

 太平洋に出てからはオーストラリア大陸に寄港し、インド洋を渡って喜望峰を回り、大西洋を北上してアメリカに戻るが、大西洋を2回も横断する少々変則的な航路になるが、航海中の操船はさすがに帆船時代の腕を随所に見せてくれる。

 

 当時は今と違って電子機器など勿論なく、天測をし計算をしながら航海をするが、その基本になるのは『クロノメーター』という精巧な時計になるが、スローカムは安物の時計で航海を続けていて、必要なのは設備ではなく腕と経験だということを示している。

 

 天測というのは太陽や月、星の位置を『セクスタント=六分儀』によって観測し、観測時間と計算式をもって現在位置を算出するもので、小生も横浜−ハワイ間をヨットで往復した時はセクスタントを使ってヨットの位置を出した。

 

 上下左右に揺れるヨットのデッキ上でセクスタントを扱い観測するのはかなり難しいが、習うよりは慣れろでじきに要領を覚えて観測が楽しみになり、連れて精度も上がるようになった。

 

 観測の後に計算をするが、これがかなり難解な数式であり、精緻な思考には不向きな航海中は苦労するが、こちらもあまり苦労しないで計算できるようになった。

 

 ヨット乗りで天測技術を持っているのは少なく、当時はそれなりに自慢であったが、それも今はヨットから離れてしまい、天測と計算は忘れてしまった。もっとも、今や電子機器の時代で、GPSにスイッチを入れればたちどころに現在位置が分かるから。天測の様なアナログは消える一方。

 

 しかし、こういった電子機器は電気がないと作動しないし、湿度が高く常に濡れる環境のヨットでは故障し易く、100%頼るのは危険で、実際、ハワイ航海で持ち込んだ天測用計算機は1回飛沫がかかったら使用不能、手作業の計算になり、正確、手軽ではあるが信頼性という点では電子機器は落ちる。

 

 せっかく覚えた天測技術、機会があるならば今流行のクルーズ船に乗って天測をするのも面白いと思うが、セクスタントから揃え、計算が以前のようにできるか不安はあるし、何よりも料金の高いクルーズ船に乗らなければならず簡単ではなく思うだけに終わりそうだ。

 

 最後に、ヨットで単独世界一周をした最も速い記録に触れるが、2017年12月に達成した42日16時間40分という記録があり、複数が乗り込んだ艇では40日23時間30分という記録がある。

 

 40日余で回った艇は全長31.5メートルもあるお化けの様なトリマラン(3胴艇)で、単独で記録を打ち立てた艇も30メートルを超すトリマランで、何れもフランス人が成し遂げたというのは面白いが、それにしても何もそんなに急いで回ることはなく、もったいないと思う。

 


 

author:cebushima, category:へそ曲がりセブ島暮らし 2018, 20:12
-, trackbacks(0), pookmark
Trackback
url: http://cebushima.com/trackback/3216