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マニラ逍遥 2018年 その(7) ビジネス街でかつて栄えたエスコルタ通りへ

 マニラ首都圏のビジネス街というと今はマカティ市を挙げられるが、そのビジネス街はかつて飛行場があった場所を開発したもので、この飛行場はフィリピンで指揮を執った山下奉文大将がフィリピンに赴任し降り立った飛行場でもあった。

【写真−1 ここがジョーンズ橋を渡ってからエスコルタ通りの始まり】

 戦後しばらくはまだ飛行場として使っていたが、やがて廃港になってその跡地を手に入れてビジネス街として開発したのが、フィリピンで一、二を争うスペイン系財閥の『アヤラ』。

 今でこそ高層のビルが林立し、フィリピン一のビジネス街となっているが、それまではマニラのビジネス中心地は、チャイナ・タウンとパシグ川に挟まれた『エスコルタ通り』がビジネス街として栄えていた。

 写真−1
はパシグ川に架かる『ジョーンズ橋』をチャイナ・タウン方面へ渡って、右手側に入るエスコルタ通りの標識で、左下に写る屋根は『中国城』と金文字で書かれ道を跨いで作られたチャイナ・タウン入り口を示す門の屋根の部分。

 ジョーンズ橋は1920年に架けられた古い橋だが、戦争中に米軍の爆撃によって破壊され、1945年に現在の橋に架け替えられた歴史を持つ。

 この近くには戦禍を生き延びた中央郵便局などの歴史的建造物が今も残っていて、戦争前は複線の路面電車が橋の上を走り、この地域一帯がマニラの中心であったことを伺せる。

 エスコルタ通りはパシグ川と平行に伸び、片側2車線で長さは1キロにも満たない道だが、1900年代半ばまでは道路沿いにあるビルに銀行の本店や日本を含めた外資系の会社が入り、栄華を極めた。

 今は空き地が目立ち、高層のマンションなどの再開発も進んでいるが、戦前の栄華を物語るビルがいくつも残り、そのビルを訪ねるのが今回のマニラ行きの目的の一つでもあった。

【写真−2 取り壊し後に隣りの空き地を含めて大規模開発が行われそう】

 写真−2はエスコルダに残る元映画館で『CAPITOL』の看板が見える。この元映画館は1935年建造で、映画館としての営業はかなり前に終えているが、数年前までは1階部分にはいくつかの小売店が入っていた。

 この写真では分からないが、映画館入り口にはかつてCAPITOLを意味する漢字の『都』の看板が残り、戦前には日本の映画も数多く上映されていた。

 この元映画館、今は取り壊し中で、何れ完全に姿を消し、隣の空き地と合わせて大規模な開発がされ、そのため下の部分は工事用の塀に隠されているが、上部全体外観はまだ残っていて、写真の看板の両側、白い壁の部分にはレリーフがある。

 

【写真−3 建物の細部を観察するとアールデコ調のデザインが見える】


 写真−3がそのレリーフ部分の様子だが、右側のレリーフは竪琴を持ち、左側は仮面を持ちどちらもギリシア風の衣装を着ている。これで分かるように、レリーフはだいぶ風化し見にくくなっている。

 

 この元映画館はフィリピンの建築家として著名な『ファン・ナクビル』が設計し、映画館として内部の造りも特徴があり、歴史的建造物と残したい建物だが、ここまで荒廃と取り壊しが進んでいては、保存の声を上げても遅すぎる。

 

 エスコルダ通りにはこの他にもう1軒映画館があったとの話だが、それがどこにあったかは全く分からず、小雨の中、駐車する車が目障りだなと思いながら、次のビルを目がけて歩を進める。

 


 

author:cebushima, category:マニラ逍遥 2018年, 18:57
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